東方疾走録
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フランス、シストロン。
古き良きヨーロッパの街並みを残すこの古都に、次々と森を揺らすような爆音を奏でスポーツカーが集まっていた。
『ホライゾンイベント! 今回はシストロンから、ニンジャチューブラジオのトドロキがお送りするよ! スターティンググリッドにまず到着したのは、フォードだ。古いが良い車だぜ! カプリRS3100と来た!』
全車に搭載されるラジオからは、今回のレース実況を担当する『ニンジャチューブラジオ』のMCトドロキがスターティンググリッドの状況を伝えている。
まだスターティングメンバーは揃っていないが、枠は五台。そしてプラス一枠。最初にグリッドに着いた順からスタートできるが、着いたのはフォードカプリRS3100を駆る少女だった。
「なんとかポールは取ったけど……、参加者を見るとあんまり安心は出来なさそうねえ」
袖なしの服に、別で袖を着けた奇妙な巫女服に身を包む少女はカプリのボンネットフードに座りながら、一台のタブレットを取り出して呟く。
今回のレース、巫女の少女――博麗霊夢の考えどおり簡単なレースではない。
未だスタートポジションとドライバー、細かい車種こそ不明だが、他には少なくとも二台のハイパーカーがいるのだから。
『さあグリッドには続々と車が集まってきてる! 勿論皆も聴いてるよな? このレースは、ニンジャチューブラジオでしか放送されてないぜ! よーし、グリッドを見てみよう。――ワァオ! こりゃすげえ! ランチアストラトスなんて滅多に見られない! まだまだ受付は開いてるよ! じゃあ、待ってる間は名曲のカヴァーチューン。Michiで、We will rock youを聴いてもらおう。テンション上げていくぜ! ここからも、MCトドロキがお送りする。チャンネルは、そのままだ!』
タブレットから流れてくる洋楽を耳に、霊夢は黒いストラトスへ目を遣る。
降りて来たのは射命丸文だ。二台のコルベット探しで公式戦に参加したようだが、どうもハズレくじを引いてしまったらしい。特に霊夢へ何も言葉を掛けることも無かった。
それが、なんだか彼女の中では気に喰わない。いつもの文のテンションで無いからだ。
「文、あんたまだ復讐紛いの事しようとしてるの? もう何年前なのよ?」
「黙ってて。私はあのコルベットを倒さなきゃ枕を高くしてなんて寝られないのよ」
文はストラトスの屋根に手を乗せ、霊夢を睨み付ける。
対する霊夢は「おーこわいこわい」と肩を竦めて、タブレットの音楽に合わせてゆったりと小さく身体を揺らす。
『また来たぞ! 三台目はなんと、レクサスのLFAだ! とんでもないブルジョワだぜ! 更に四台目、――おおっと、上回ってきたな。マクラーレンP1だ! 最近有名な、イザヨイサクヤとかいうメイドさんだ。それは、お給金で買ったのかな? 良いご主人だ! トドロキもビックリ!』
最悪の組み合わせだ、と霊夢は手のひらで思わず顔を覆う。
何しろLFAの持ち主は富士見でも、文が消えた後最速となった八雲紫。マクラーレンは十六夜咲夜の持ち物で、ドライバーの知名度もこの車に変わってから凄まじい勢いで上がっているのだから。
マクラーレンに変わってから、咲夜にほぼ負けは無いのである。
「御機嫌よう、お二方。良い日和ね?」
「私の気分は最悪。文はアヴェンジャー気取っちゃってるし」
「霊夢、貴女だいぶ染まったわね……」
紫の言葉に、まるで洋画のような返しをする霊夢を咲夜は苦笑を交えて憐れんだ。
車は四台揃っている。内、二台は少なくとも『スーパーカー』である。その中でもスペックで飛びぬけているのは咲夜のマクラーレンだが。
霊夢は完全に、咲夜との勝負は諦めた。だが、文と紫とは張り合う気でいる。それだけの手塩を掛けて、彼女はカプリを仕上げたのだ。渡り合える自信は持っていた。
「ところで、あとの一台と一枠は誰に?」
「わっかんないわよ。肝心なことはこの薄っぺらいのが教えてくれないんだから」
霊夢はタブレットを力なく振り回して、呆れ返った表情で咲夜へ返した。
残るグリッドは二枠。音楽はまだ終わっていない。
集合する四人が並べた車に、唸りを上げて滑り込む車が一台。真紅と黒いカーボンが絶妙なコントラストで輝く異質な車体で、それを見て霊夢は更に一ポジション落すことを決めた。
『来たのは、赤のケーニグセグアゲーラだ。とんでもない異種格闘技戦になるぞー!』
ボディから一度張り出し、九十度半回転する独特なドアを開け放ち、降りて来た人物の姿を見て咲夜が顔色を変えた。
「お――お嬢様!? お嬢様……どうしてここに!?」
「言わなかったから当然だな。フランも来てるわ。レースには出ないけど。名を上げてるようだから、私が一目見てやろうと思ってね」
幼げな体躯に似合わない笑みを浮かべて咲夜を一笑するのはレミリア=スカーレット。
咲夜をこの『ホライゾンフェスティバル』に送り出した張本人が、今こうしてここにいる。
「つまり、このレースにハイパーカーは二台。この端末データどおりなら、もう出揃ったことになりますわね」
自身のLFAに背中を預ける紫が、長い指を画面の上で滑らせながら語る。
確かに、明かされていたデータの車体は出揃った。だが、全員のタブレットにはグリッドを黒く塗りつぶす一枠が空いている。
五人が集合していると、トドロキから再び状況報告が入った。
『ニンジャチューンラジオを聴いてる皆! 車は揃った。だけど、一人忘れてるよな? そう、グリッドが一枠空いてる。ここには、ホライゾンスタッフが呼んだ素晴らしいゲストが来ることになってるぜ! もうすぐ皆には聴こえてくるはずだ――来たぞお……日本の直列六気筒が出す、官能的なサウンドだ。紹介しよう――』
車道の真ん中を、堂々たる風貌で迫る黒い車体。
ゆっくりと迫るその車は、明らかに『異常』だった。
『――ホライゾンコロラドで、見事にチャンピオンを破り勝利した最速のドライバー。エリスだ。車はトヨタ86。コロラドの時はFR-Sだったって聞いてるが、今回は更に進化しているらしい! 楽しみだ』
音楽が止まり、辺りには静寂が走る。――いや、正確には六台のアイドリング音だけが響いている。これが、走り屋の『静寂』だ。
86のドアが開き、エリスは金色の長い髪を風に靡かせて威風堂々と降車する。
まず向かっていったのは、霊夢の前。
「ラリー講師の霊夢はエボ10から渋い車に乗り換えたのね」
「アンタも。キッチリ本物の86に乗ってるじゃない。エンジンまで載せ換えちゃって」
霊夢とエリスは初見ではない。
エリスは本来走りに興味が無かったが、とある要因でコロラドで開催された『ホライゾン』に参加。
そこで河童でメカニックの『河城にとり』のアドバイスをもらい、霊夢からダートや不整地でのドライビングについて学んでいたのだ。
勿論、他のドライバーとも初見ではない。皆、エリスとは戦っている。
――そして、彼女によって倒されている。今回のサプライズゲストは、有る意味全員の希望を叶えるようなものでもあった。
「じゃ、初めましょう? 私もだいぶ、こういうのに慣れてきたし」
タブレットを片手にひらひらと掲げながら、エリスは車へと戻っていく。
全員がそれぞれの車に乗り込み、スタートの合図を待つ。
【BGM:Don't Break Me Down/A-one】
『3、2、1、GO!』
トドロキの掛け声で、全員がスロットルペダルを一斉に踏み込む。
ホイールスピンする86、アゲーラを置いてパワーを抑えたカプリとLFA、ストラトスが好調なスタートを決めるもそれも一瞬。
グリップを取り戻した二台と、元より優れたローンチを誇るマクラーレンにごぼう抜きされていく。
「はっ――や!? 勝負はもう、この三台だけね」
カプリのステアリングを操り、その向こうに見えるタコメーターを合わせてギアチェンジする霊夢。だが、三台との距離はまるで縮まらなかった。
紫、文の操る二台はきっちりと抑えているため、霊夢は最早表彰台を棄てて四位に食い込むべく走り出す。
一方で、前方を走行する三台のハイパーカーズはエリスを先頭に、その後方ではサイドバイサイドの熾烈な主従競争が繰り広げられている。
激しくテールを流しながらも、消して壁に接触しないエリスのドライビングテクニックは最早『走りに興味の無かった人物』から『プロドライバー』へと昇華していると周囲へ知らしめるには、十分過ぎるほどの迫力があった。
「やるわね。咲夜も、あの悪魔も……」
青白く輝くアゲーラのメーターへ一瞬目を配らせ、ステアリング裏手のパドルシフトへ小指、薬指、中指の三本を回しノックするレミリア。
アゲーラはリアタイヤを操作に合わせて軽く鳴かせると、マフラーからアフターファイアを噴き上げて加速する。その車速は短い直線ながら優に200km/hを超えており、アゲーラの異常な速度性能が覗えるようだ。
一方の咲夜も、絶対的な速度ではアゲーラに勝ることは出来ないものの脅威としか言いようの無いハンドリング性能とハイブリッドの動力源が生み出す加速力に任せ、アゲーラを抑える。
トップはエリスの86、二番手に咲夜のマクラーレン、三番はアゲーラを駆るレミリアの順だ。その差は、後続など眼中に無いと云わんばかりの勢いで引き離していく。
このレースは周回戦だが、このままでは霊夢達に勝ち目は無いだろう。だからこそ、霊夢は勝負を初めから四位争いにシフトさせていたのだ。無駄に集中力を使わないように……。
『こちらニンジャチューンラジオより、トドロキだ! トヨタ、マクラーレン、ケーニグセグがダントツに速い! だけど、カプリも古いなりに良く走ってるぞ! なんと、あのLFAを抑えて走ってるんだ! LFAは、現在五番手をストラトスと競ってる!』
「そりゃ、どうも――!」
トドロキに褒められたところで、所詮は四位。だが、されど四位だ。
バックミラーとサイドミラーを確認し、後続の二台が霊夢へパッシングするのを目視するとすぐに指定されたコーナーが霊夢の目の前に迫る。
既に前方三台は曲がり終えた後だ。残された白煙を潜る様に、霊夢はあくまでペースをキープしたまま市街地独特の直角コーナーと急勾配を切り抜けていく。
前方三台は既に一周を終えようとしている。
バックストレッチとなる再びの短い直線で、レミリアと咲夜の順位は前後入れ替わった。
一気にスピードを伸ばすレミリアに、86のテールは次第に近付いていく。
「アゲーラかあ。サリエルさんのアヴェンタ以上に速いわね流石に……。でも、私はそれでも勝ったわ」
86のエンジンルームで唸りを上げるタービンはまるで断末魔の悲鳴のよう。
強烈なターボブーストとそれを唸らせる2JZ-GTE型エンジンは実に1020馬力を発揮する。故にじゃじゃ馬マシンと化してはいるのだが、エリスはまるで気にしない。
むしろそのパワーを味方につけ、アゲーラの超スピードとすら互角に渡り合うだけの加速力を見せ付けていた。
後続は気付けば紫が四番、霊夢がその後ろに甘んじ、文は付かず離れずで喰い付くという構図が出来上がっていた。
迫るコーナーに、紫はハンドブレーキを素早い手さばきで引き上げ、車体をスライドさせていく。
エアロ、扁平タイヤ、スポーツタイヤにバランス良く組まれたセッティングとチューニングによりLFAは滑りながらも決して紫の手を暴れさせるような走りはしない。
その様は良く手懐けられた、『式神』とすら喩えられそうなものであった。
『良い走りだLFA! 流石、乗りこなしてる! 他のメンバー、特にストラトス頑張ってくれ! まだチャンスはあるぞ!』
「……」
街の歩道へ乗り上げ、スライドするストラトス。しかし、確保されたグリップは文の手にしっかりとステアリングという媒体を介して伝わってくる。
看板を破壊したようだが、彼女に最早それを気にする余裕は無い。むしろ、幻想郷のときからよく事件を起こしていたのは彼女だ。文は、ある意味トラブルメイカーなのである。
しかし今回は訳が違う。昔、自身を負かせたドライバーへリベンジする為に何もかもを棄てている。文を抑える霊夢も、その危険性がどれだけの程か理解しているのだ。
出来るなら彼女を止めたいが、走りに魅入られた自分が何を言っても文は聞かないだろう。だからこそ、ここで再び敗北させることで目を醒まさせたい思いも霊夢にはあった。
(とは言え……コイツ、何割よ!? 随分喰い付くじゃない!)
カプリのバックミラーには離れないストラトスの低い車体が映っている。
どれだけ踏んでも、離れない。
『レースは二周目! マクラーレンも三番手で二周目に入ったぞ! 後続もまもなく二周目だ!』
レースは最終ラップを迎えようとしている。
しかし、ここに来てトドロキが不穏な発言をし始める。
『おっと、スタッフからだ……。皆、チャンネルはそのまま! ニンジャチューンラジオで宜しくゥ!』
サウンドステッカーが流れ始めたニンジャチューンラジオ。
順位の入れ替わりは先頭三台が激しく、後続三台は最早緩慢だ。紫が四位で勝負は決まったのかもしれない。
だが、サウンドステッカーが消えた後トドロキが語る。
『レースに参加中のドライバー達、注意してくれ。封鎖を掻い潜って、ホライゾン未登録ドライバーがコースを逆走してるらしい。車種は――黒、赤いラインの入ったコルベットだ。事故らないよう、ゆっくりかわしてくれ! レースは続行だ。トドロキも、コイツに関しては随時報告していくぜ!』
「黒のコルベット――!」
霊夢が突如文へ道を譲るように右へ車を寄せる。
同時に、文の眼前へ黒い車体がミサイルの如く自身へ向かってくるのが見えた。
「――!」
文がブレーキをかけると、黒い車体――トドロキの流した情報どおり、赤いストライプラインが入ったコルベットはその目の前で郊外へ出る道にスライドしながら飛び込む。
文もレースを完全に放棄し、コルベットの後を追う。放棄、という簡単な言葉ではないかもしれない。文がコルベットにウェストのステッカーを見つけたその瞬間、頭の中からレース中という事実が消し飛んだのかもしれなかった。
しかし、これだけは確実だ。
――文はコース離脱につきリタイア。無条件敗北である、と。
【BGM:静寂ラストダンス/死際サテライト】
『ストラトスが脱落、コルベットを追い始めた。どうしたんだ!? 一体!』
「こっちにも事情があるのよ……!」
文が組み上げたストラトスは、決して最新型のコルベットに見劣りしない。
彼女の経験談から推測しても、向こうがエンジンにまで手を付けているとは考えがたかった。
270km/hまで加速したストラトスの前でコルベットは道から外れ、山道へ突入。生い茂る植物を薙ぎ倒しながら、文を嘲笑うかのように消えていった。
そう来られては、文も退く理由は無い。同じく進路を山道へ取り、ハイウェイの横のダートを走り抜けていく。
「タイヤ痕は右に行ってる。更にあの橋の下で左!」
ダートから一気にテールスライドで車道へ雪崩れ込んだストラトスの車内で、文は的確にコルベットの残したブラックマークをトレースしていた。
陸橋を抜け、郊外の道へ出たストラトス。コルベットは、そこでスピンターンして停車する。
「停まる――!? くッ!」
左車線から迫る一般車をかわし、一杯までステアリングを切り込んだ文。
ストラトスは一般車の走り抜けて行った左車線へ飛び込み、スピンしながらコルベットとの距離を詰めていった。
「……はあ」
コルベットとのダンスは終わりだ。
互いに停車したこの状況、ドライバーと話すなら今しかない。文はステアリングをたんっと力強く叩き、ドアを開いてコルベットへ歩み寄っていく。
「……妹はどうしたの?」
「あら、私のことをそこまで調べたのね。ストラトスも直って、良かった良かった――」
パワーウィンドウを下ろし、姿を見せた幻月。その服の襟を掴み、文は鴉天狗の持てる全ての力で彼女を車外へ引き摺り出さんとするかのように、幻月の身体を叩き付けさせる。
「『良かった』? 良くないわよ。貴方達を探して、私は何年無駄にしたかわからない。今回もレースを無駄にしたわ。これを逃したら、また探さなきゃいけなくなるでしょうから」
「あらあら……。でも、その心配は無いわよ。夢月は、このホライゾンに登録しているの。リベンジマッチなら、そこでしましょう。それに暴力沙汰はまずいわよ? 参加ドライバーなんでしょう? 貴女も」
文は幻月の言葉に咽を鳴らし、手を離す。
幻月とのリベンジは残念ながら叶いそうに無い。だが、その妹とのリベンジマッチは可能らしい。
その結果だけでも、今は良しとするしかない。
「なら、次は公正な場で」
そう語って、文はスピンしたまま停車するストラトスへくるりと踵を返して引き返していく。
その背を眺め、幻月は小さく微笑んだ。
【BGM:最後の言葉は/死際サテライト+9bFOX】
『勝者はエリス! 流石ホライゾンコロラドを勝ち抜いただけはある! こんなにアツいレースはトドロキも初めてだった! 二番手にはケーニグセグ、続いてマクラーレン、フォード、レクサスだ。残念ながらリタイアしたストラトスのドライバーには、次に期待だ。確かに速かったのは、間違いない。ホライゾンクルーの皆! 次回のMCも、是非このトドロキで頼むぜ! じゃ、レース終了の気持ちを忘れずこのチューンで行ってみよう! ニンジャチューンラジオから、この先も変わらずトドロキがお送りするぜ!』
そうして、レースは終わりを告げる。
文は目的の更新を、ドライバーたちは新たな出会いと再会を。
ホライゾンはこれからも続いていく。
――そう、走る為にドライバーが居続ける限り。
古き良きヨーロッパの街並みを残すこの古都に、次々と森を揺らすような爆音を奏でスポーツカーが集まっていた。
『ホライゾンイベント! 今回はシストロンから、ニンジャチューブラジオのトドロキがお送りするよ! スターティンググリッドにまず到着したのは、フォードだ。古いが良い車だぜ! カプリRS3100と来た!』
全車に搭載されるラジオからは、今回のレース実況を担当する『ニンジャチューブラジオ』のMCトドロキがスターティンググリッドの状況を伝えている。
まだスターティングメンバーは揃っていないが、枠は五台。そしてプラス一枠。最初にグリッドに着いた順からスタートできるが、着いたのはフォードカプリRS3100を駆る少女だった。
「なんとかポールは取ったけど……、参加者を見るとあんまり安心は出来なさそうねえ」
袖なしの服に、別で袖を着けた奇妙な巫女服に身を包む少女はカプリのボンネットフードに座りながら、一台のタブレットを取り出して呟く。
今回のレース、巫女の少女――博麗霊夢の考えどおり簡単なレースではない。
未だスタートポジションとドライバー、細かい車種こそ不明だが、他には少なくとも二台のハイパーカーがいるのだから。
『さあグリッドには続々と車が集まってきてる! 勿論皆も聴いてるよな? このレースは、ニンジャチューブラジオでしか放送されてないぜ! よーし、グリッドを見てみよう。――ワァオ! こりゃすげえ! ランチアストラトスなんて滅多に見られない! まだまだ受付は開いてるよ! じゃあ、待ってる間は名曲のカヴァーチューン。Michiで、We will rock youを聴いてもらおう。テンション上げていくぜ! ここからも、MCトドロキがお送りする。チャンネルは、そのままだ!』
タブレットから流れてくる洋楽を耳に、霊夢は黒いストラトスへ目を遣る。
降りて来たのは射命丸文だ。二台のコルベット探しで公式戦に参加したようだが、どうもハズレくじを引いてしまったらしい。特に霊夢へ何も言葉を掛けることも無かった。
それが、なんだか彼女の中では気に喰わない。いつもの文のテンションで無いからだ。
「文、あんたまだ復讐紛いの事しようとしてるの? もう何年前なのよ?」
「黙ってて。私はあのコルベットを倒さなきゃ枕を高くしてなんて寝られないのよ」
文はストラトスの屋根に手を乗せ、霊夢を睨み付ける。
対する霊夢は「おーこわいこわい」と肩を竦めて、タブレットの音楽に合わせてゆったりと小さく身体を揺らす。
『また来たぞ! 三台目はなんと、レクサスのLFAだ! とんでもないブルジョワだぜ! 更に四台目、――おおっと、上回ってきたな。マクラーレンP1だ! 最近有名な、イザヨイサクヤとかいうメイドさんだ。それは、お給金で買ったのかな? 良いご主人だ! トドロキもビックリ!』
最悪の組み合わせだ、と霊夢は手のひらで思わず顔を覆う。
何しろLFAの持ち主は富士見でも、文が消えた後最速となった八雲紫。マクラーレンは十六夜咲夜の持ち物で、ドライバーの知名度もこの車に変わってから凄まじい勢いで上がっているのだから。
マクラーレンに変わってから、咲夜にほぼ負けは無いのである。
「御機嫌よう、お二方。良い日和ね?」
「私の気分は最悪。文はアヴェンジャー気取っちゃってるし」
「霊夢、貴女だいぶ染まったわね……」
紫の言葉に、まるで洋画のような返しをする霊夢を咲夜は苦笑を交えて憐れんだ。
車は四台揃っている。内、二台は少なくとも『スーパーカー』である。その中でもスペックで飛びぬけているのは咲夜のマクラーレンだが。
霊夢は完全に、咲夜との勝負は諦めた。だが、文と紫とは張り合う気でいる。それだけの手塩を掛けて、彼女はカプリを仕上げたのだ。渡り合える自信は持っていた。
「ところで、あとの一台と一枠は誰に?」
「わっかんないわよ。肝心なことはこの薄っぺらいのが教えてくれないんだから」
霊夢はタブレットを力なく振り回して、呆れ返った表情で咲夜へ返した。
残るグリッドは二枠。音楽はまだ終わっていない。
集合する四人が並べた車に、唸りを上げて滑り込む車が一台。真紅と黒いカーボンが絶妙なコントラストで輝く異質な車体で、それを見て霊夢は更に一ポジション落すことを決めた。
『来たのは、赤のケーニグセグアゲーラだ。とんでもない異種格闘技戦になるぞー!』
ボディから一度張り出し、九十度半回転する独特なドアを開け放ち、降りて来た人物の姿を見て咲夜が顔色を変えた。
「お――お嬢様!? お嬢様……どうしてここに!?」
「言わなかったから当然だな。フランも来てるわ。レースには出ないけど。名を上げてるようだから、私が一目見てやろうと思ってね」
幼げな体躯に似合わない笑みを浮かべて咲夜を一笑するのはレミリア=スカーレット。
咲夜をこの『ホライゾンフェスティバル』に送り出した張本人が、今こうしてここにいる。
「つまり、このレースにハイパーカーは二台。この端末データどおりなら、もう出揃ったことになりますわね」
自身のLFAに背中を預ける紫が、長い指を画面の上で滑らせながら語る。
確かに、明かされていたデータの車体は出揃った。だが、全員のタブレットにはグリッドを黒く塗りつぶす一枠が空いている。
五人が集合していると、トドロキから再び状況報告が入った。
『ニンジャチューンラジオを聴いてる皆! 車は揃った。だけど、一人忘れてるよな? そう、グリッドが一枠空いてる。ここには、ホライゾンスタッフが呼んだ素晴らしいゲストが来ることになってるぜ! もうすぐ皆には聴こえてくるはずだ――来たぞお……日本の直列六気筒が出す、官能的なサウンドだ。紹介しよう――』
車道の真ん中を、堂々たる風貌で迫る黒い車体。
ゆっくりと迫るその車は、明らかに『異常』だった。
『――ホライゾンコロラドで、見事にチャンピオンを破り勝利した最速のドライバー。エリスだ。車はトヨタ86。コロラドの時はFR-Sだったって聞いてるが、今回は更に進化しているらしい! 楽しみだ』
音楽が止まり、辺りには静寂が走る。――いや、正確には六台のアイドリング音だけが響いている。これが、走り屋の『静寂』だ。
86のドアが開き、エリスは金色の長い髪を風に靡かせて威風堂々と降車する。
まず向かっていったのは、霊夢の前。
「ラリー講師の霊夢はエボ10から渋い車に乗り換えたのね」
「アンタも。キッチリ本物の86に乗ってるじゃない。エンジンまで載せ換えちゃって」
霊夢とエリスは初見ではない。
エリスは本来走りに興味が無かったが、とある要因でコロラドで開催された『ホライゾン』に参加。
そこで河童でメカニックの『河城にとり』のアドバイスをもらい、霊夢からダートや不整地でのドライビングについて学んでいたのだ。
勿論、他のドライバーとも初見ではない。皆、エリスとは戦っている。
――そして、彼女によって倒されている。今回のサプライズゲストは、有る意味全員の希望を叶えるようなものでもあった。
「じゃ、初めましょう? 私もだいぶ、こういうのに慣れてきたし」
タブレットを片手にひらひらと掲げながら、エリスは車へと戻っていく。
全員がそれぞれの車に乗り込み、スタートの合図を待つ。
【BGM:Don't Break Me Down/A-one】
『3、2、1、GO!』
トドロキの掛け声で、全員がスロットルペダルを一斉に踏み込む。
ホイールスピンする86、アゲーラを置いてパワーを抑えたカプリとLFA、ストラトスが好調なスタートを決めるもそれも一瞬。
グリップを取り戻した二台と、元より優れたローンチを誇るマクラーレンにごぼう抜きされていく。
「はっ――や!? 勝負はもう、この三台だけね」
カプリのステアリングを操り、その向こうに見えるタコメーターを合わせてギアチェンジする霊夢。だが、三台との距離はまるで縮まらなかった。
紫、文の操る二台はきっちりと抑えているため、霊夢は最早表彰台を棄てて四位に食い込むべく走り出す。
一方で、前方を走行する三台のハイパーカーズはエリスを先頭に、その後方ではサイドバイサイドの熾烈な主従競争が繰り広げられている。
激しくテールを流しながらも、消して壁に接触しないエリスのドライビングテクニックは最早『走りに興味の無かった人物』から『プロドライバー』へと昇華していると周囲へ知らしめるには、十分過ぎるほどの迫力があった。
「やるわね。咲夜も、あの悪魔も……」
青白く輝くアゲーラのメーターへ一瞬目を配らせ、ステアリング裏手のパドルシフトへ小指、薬指、中指の三本を回しノックするレミリア。
アゲーラはリアタイヤを操作に合わせて軽く鳴かせると、マフラーからアフターファイアを噴き上げて加速する。その車速は短い直線ながら優に200km/hを超えており、アゲーラの異常な速度性能が覗えるようだ。
一方の咲夜も、絶対的な速度ではアゲーラに勝ることは出来ないものの脅威としか言いようの無いハンドリング性能とハイブリッドの動力源が生み出す加速力に任せ、アゲーラを抑える。
トップはエリスの86、二番手に咲夜のマクラーレン、三番はアゲーラを駆るレミリアの順だ。その差は、後続など眼中に無いと云わんばかりの勢いで引き離していく。
このレースは周回戦だが、このままでは霊夢達に勝ち目は無いだろう。だからこそ、霊夢は勝負を初めから四位争いにシフトさせていたのだ。無駄に集中力を使わないように……。
『こちらニンジャチューンラジオより、トドロキだ! トヨタ、マクラーレン、ケーニグセグがダントツに速い! だけど、カプリも古いなりに良く走ってるぞ! なんと、あのLFAを抑えて走ってるんだ! LFAは、現在五番手をストラトスと競ってる!』
「そりゃ、どうも――!」
トドロキに褒められたところで、所詮は四位。だが、されど四位だ。
バックミラーとサイドミラーを確認し、後続の二台が霊夢へパッシングするのを目視するとすぐに指定されたコーナーが霊夢の目の前に迫る。
既に前方三台は曲がり終えた後だ。残された白煙を潜る様に、霊夢はあくまでペースをキープしたまま市街地独特の直角コーナーと急勾配を切り抜けていく。
前方三台は既に一周を終えようとしている。
バックストレッチとなる再びの短い直線で、レミリアと咲夜の順位は前後入れ替わった。
一気にスピードを伸ばすレミリアに、86のテールは次第に近付いていく。
「アゲーラかあ。サリエルさんのアヴェンタ以上に速いわね流石に……。でも、私はそれでも勝ったわ」
86のエンジンルームで唸りを上げるタービンはまるで断末魔の悲鳴のよう。
強烈なターボブーストとそれを唸らせる2JZ-GTE型エンジンは実に1020馬力を発揮する。故にじゃじゃ馬マシンと化してはいるのだが、エリスはまるで気にしない。
むしろそのパワーを味方につけ、アゲーラの超スピードとすら互角に渡り合うだけの加速力を見せ付けていた。
後続は気付けば紫が四番、霊夢がその後ろに甘んじ、文は付かず離れずで喰い付くという構図が出来上がっていた。
迫るコーナーに、紫はハンドブレーキを素早い手さばきで引き上げ、車体をスライドさせていく。
エアロ、扁平タイヤ、スポーツタイヤにバランス良く組まれたセッティングとチューニングによりLFAは滑りながらも決して紫の手を暴れさせるような走りはしない。
その様は良く手懐けられた、『式神』とすら喩えられそうなものであった。
『良い走りだLFA! 流石、乗りこなしてる! 他のメンバー、特にストラトス頑張ってくれ! まだチャンスはあるぞ!』
「……」
街の歩道へ乗り上げ、スライドするストラトス。しかし、確保されたグリップは文の手にしっかりとステアリングという媒体を介して伝わってくる。
看板を破壊したようだが、彼女に最早それを気にする余裕は無い。むしろ、幻想郷のときからよく事件を起こしていたのは彼女だ。文は、ある意味トラブルメイカーなのである。
しかし今回は訳が違う。昔、自身を負かせたドライバーへリベンジする為に何もかもを棄てている。文を抑える霊夢も、その危険性がどれだけの程か理解しているのだ。
出来るなら彼女を止めたいが、走りに魅入られた自分が何を言っても文は聞かないだろう。だからこそ、ここで再び敗北させることで目を醒まさせたい思いも霊夢にはあった。
(とは言え……コイツ、何割よ!? 随分喰い付くじゃない!)
カプリのバックミラーには離れないストラトスの低い車体が映っている。
どれだけ踏んでも、離れない。
『レースは二周目! マクラーレンも三番手で二周目に入ったぞ! 後続もまもなく二周目だ!』
レースは最終ラップを迎えようとしている。
しかし、ここに来てトドロキが不穏な発言をし始める。
『おっと、スタッフからだ……。皆、チャンネルはそのまま! ニンジャチューンラジオで宜しくゥ!』
サウンドステッカーが流れ始めたニンジャチューンラジオ。
順位の入れ替わりは先頭三台が激しく、後続三台は最早緩慢だ。紫が四位で勝負は決まったのかもしれない。
だが、サウンドステッカーが消えた後トドロキが語る。
『レースに参加中のドライバー達、注意してくれ。封鎖を掻い潜って、ホライゾン未登録ドライバーがコースを逆走してるらしい。車種は――黒、赤いラインの入ったコルベットだ。事故らないよう、ゆっくりかわしてくれ! レースは続行だ。トドロキも、コイツに関しては随時報告していくぜ!』
「黒のコルベット――!」
霊夢が突如文へ道を譲るように右へ車を寄せる。
同時に、文の眼前へ黒い車体がミサイルの如く自身へ向かってくるのが見えた。
「――!」
文がブレーキをかけると、黒い車体――トドロキの流した情報どおり、赤いストライプラインが入ったコルベットはその目の前で郊外へ出る道にスライドしながら飛び込む。
文もレースを完全に放棄し、コルベットの後を追う。放棄、という簡単な言葉ではないかもしれない。文がコルベットにウェストのステッカーを見つけたその瞬間、頭の中からレース中という事実が消し飛んだのかもしれなかった。
しかし、これだけは確実だ。
――文はコース離脱につきリタイア。無条件敗北である、と。
【BGM:静寂ラストダンス/死際サテライト】
『ストラトスが脱落、コルベットを追い始めた。どうしたんだ!? 一体!』
「こっちにも事情があるのよ……!」
文が組み上げたストラトスは、決して最新型のコルベットに見劣りしない。
彼女の経験談から推測しても、向こうがエンジンにまで手を付けているとは考えがたかった。
270km/hまで加速したストラトスの前でコルベットは道から外れ、山道へ突入。生い茂る植物を薙ぎ倒しながら、文を嘲笑うかのように消えていった。
そう来られては、文も退く理由は無い。同じく進路を山道へ取り、ハイウェイの横のダートを走り抜けていく。
「タイヤ痕は右に行ってる。更にあの橋の下で左!」
ダートから一気にテールスライドで車道へ雪崩れ込んだストラトスの車内で、文は的確にコルベットの残したブラックマークをトレースしていた。
陸橋を抜け、郊外の道へ出たストラトス。コルベットは、そこでスピンターンして停車する。
「停まる――!? くッ!」
左車線から迫る一般車をかわし、一杯までステアリングを切り込んだ文。
ストラトスは一般車の走り抜けて行った左車線へ飛び込み、スピンしながらコルベットとの距離を詰めていった。
「……はあ」
コルベットとのダンスは終わりだ。
互いに停車したこの状況、ドライバーと話すなら今しかない。文はステアリングをたんっと力強く叩き、ドアを開いてコルベットへ歩み寄っていく。
「……妹はどうしたの?」
「あら、私のことをそこまで調べたのね。ストラトスも直って、良かった良かった――」
パワーウィンドウを下ろし、姿を見せた幻月。その服の襟を掴み、文は鴉天狗の持てる全ての力で彼女を車外へ引き摺り出さんとするかのように、幻月の身体を叩き付けさせる。
「『良かった』? 良くないわよ。貴方達を探して、私は何年無駄にしたかわからない。今回もレースを無駄にしたわ。これを逃したら、また探さなきゃいけなくなるでしょうから」
「あらあら……。でも、その心配は無いわよ。夢月は、このホライゾンに登録しているの。リベンジマッチなら、そこでしましょう。それに暴力沙汰はまずいわよ? 参加ドライバーなんでしょう? 貴女も」
文は幻月の言葉に咽を鳴らし、手を離す。
幻月とのリベンジは残念ながら叶いそうに無い。だが、その妹とのリベンジマッチは可能らしい。
その結果だけでも、今は良しとするしかない。
「なら、次は公正な場で」
そう語って、文はスピンしたまま停車するストラトスへくるりと踵を返して引き返していく。
その背を眺め、幻月は小さく微笑んだ。
【BGM:最後の言葉は/死際サテライト+9bFOX】
『勝者はエリス! 流石ホライゾンコロラドを勝ち抜いただけはある! こんなにアツいレースはトドロキも初めてだった! 二番手にはケーニグセグ、続いてマクラーレン、フォード、レクサスだ。残念ながらリタイアしたストラトスのドライバーには、次に期待だ。確かに速かったのは、間違いない。ホライゾンクルーの皆! 次回のMCも、是非このトドロキで頼むぜ! じゃ、レース終了の気持ちを忘れずこのチューンで行ってみよう! ニンジャチューンラジオから、この先も変わらずトドロキがお送りするぜ!』
そうして、レースは終わりを告げる。
文は目的の更新を、ドライバーたちは新たな出会いと再会を。
ホライゾンはこれからも続いていく。
――そう、走る為にドライバーが居続ける限り。