Phantom Ensemble
「やっほー、あいてるー?」
のん気な声が、ホライゾンハブに木霊する。
呆れたように、少女へ返したにとり。次々とホライゾンハブへやってくる三姉妹――名は、プリズムリバー三姉妹という。一番喧しいのはメルランだ。三姉妹の次女である
。
「そういえば、あの“噂”はどうなったのー?」
小さな体躯をひょいひょいと伸ばしながらにとりへ問う、赤い服の少女は三女のリリカ。
長女であるルナサに制されるリリカへ、にとりは神妙そうに告げた。
「あの噂か……。あまり良い話は聞かないよ」
「悪質だとか……?」
ルナサが首を傾げつつ問うと、にとりは静かにかぶりを振る。
「違うんだ。都市伝説みたいな噂ばかりが広まってる。前回のホライゾンで死んだ幽霊だ――とか、オーケストラを聴いてるとやってくるとか、最悪なのだと一緒に走ったドライバーは死ぬとかね」
「うわあ……。幻想郷だったら実現してそうな話ね」
メルランは服に仕舞っていた車のキーを取り出しつつ、にとりの話を流す。最早話を訊く気など無いのか、口笛まで吹いている。
「購入記録は? オートショーにスープラを買いに行った人の履歴を――」
「あのねえ。スープラなんて、ここに流れてくる限りは幾らでも買われていくんだよ?
特に、日本車は人気があるんだし、購入者特定は無理無理。それにね――」
にとりは眉をひそめ、三人を手招きして集めた。
「私も、遭遇したんだ……そのスープラに――」
「少し追いすがってみたけど、ありゃダメ。まぁったく追いつけないよ。途中、ケーニグセグとブガッティのバトルを軽く追い抜いていったくらいだから――私の計算だけど、400km/hは軽く出てるんじゃないかな」
「400――そういえば、スピードトラップの記録に名前の無いスープラの記録があったわ。確かその時はハイウェイで……436km/hだった」
ルナサがそんな風に話すと、リリカはまたまた、とふざけ半分に笑う。
ありえない速度、履歴の無い車、まさにホライゾンに現れた“異変”である。
「でも、おもしろそうじゃない? 最近は仕事も安定してきたし、私は久しぶりに走りたいなー!」
キーホルダーに通して指で、くるくると鍵を回すメルラン。三姉妹は各地のハブを転々と周り、演奏会を開いている。もちろん、周りに影響しないちゃんとした音色の曲を披露していて、それなりのファンも付いてきたところだ。
『Phantom Ensemble』――“幻想楽団”などという、取って付けたようなチーム名も定着してきた。最近では、長女ルナサの車もチーム仕様にデザインを変え、アピールもしている。
「そう。私の話は此処からだよ、三人とも。噂通りなら、そのスープラはオーケストラを流してると現れる。――それから、何かを探してるようだ、とも言われてるんだ。音楽と探し物……なんだか、それっぽくない?」
「まさか、私たちの誰かが素性隠して走ってるってこと? だとしたら、真っ先に怪しいのはメルラン姉さんじゃない」
「えぇぇぇ!? 私!? 確かにスープラの音は好きだけど、私は今のシルビアが一番かなあ」
「4ローターの音、気に入ってるしね。メルランは」
「そうそう! まさに管楽器、ってね!」
音の話になると、三姉妹はすぐに話がそれる。にとりもそれは承知なのか、咳払い一つしてから、話を続けた。
「とにかく! 異変、ってやつだよね私達流に言うなら。貴方達には、その正体を掴んで欲しい。今は私の周りで話せる味方も忙しくてね、音楽系、幽霊系、ときたらプリズムリバーかなってさ」
「――そうね、仮にそうなら私も一人心当たりがいるの。――ずっと離れていたけど、その、心当たりが……」
ルナサの思わせぶりな話し口調に、姉妹の雰囲気が唐突に重くなる。リリカやメルランにも、同じ心当たりがあるようだ。
「――やっぱり、そうだと思った。でも、どうして?」
「あの子は寂しがり屋だもんね。私たちが仕事で忙しい間に寂しい思いをしたのなら、同じ事をして私たちと遊びたいと思っちゃってもおかしくないわね」
斜を向いて語るメルラン。車のキーを握りなおし、彼女は再び顔を上げる。
「よしっ! ルナサ姉さん、幻想楽団出動!」
「え……仕切られてるの? まあ、とにかく走らないと判らないってことなら、走ろう。勝負はハイウェイにする。全員、トランシーバーを持ったら作戦開始。――幻想楽団、出動」
「おーっ」
駆け出してハブから出て行く三姉妹。それを軽く見送ると、にとりは来ていた客の車の整備へと戻っていった。
後のことは、にとりの成すべき事ではない。三姉妹が、自分の力で探ることだ。事実がどうあれ、最近の退屈そうな三姉妹には笑顔が戻りつつあった。にとりは、それを見る事が叶っただけでも良かった。
◇
ハイウェイ。イタリア、フランスの各都市を結ぶ二本のハイウェイのうち、もっとも長いハイウェイで、赤いアルファロメオ、シルバーのシルビア、黒いBMW Z4はまるで戦闘機の編隊のような見事な陣形を維持したまま走行する。
「全員、チェック」
『チェックーっ!』
『チェック、いけるよー』
ルナサの一声に、メルランもリリカも元気よく応えた。
ホライゾンのイベント中は、会場からさまざまなジャンルの音楽を提供するラジオチャンネルが配信される。その内の一局が、噂のオーケストラ専門ラジオステーション。刺激を求める若者には人気が無いものの、ノスタルジックな雰囲気を醸し出すにはぴったりで、古い車を愛用するドライバーの間での選局率は高い。また、幻想楽団の曲も基本的にはこのラジオチャンネルで配信されるため、一部のファンも利用しているのは間違いの無い事実だ。
恐らくは、そういったファンの間で遭遇したスープラの噂が他のドライバーに流れ、都市伝説的に波及したのだろうと、Z4のステアリングを操りながらルナサは考えた。
「じゃあ、まずはメルラン。全員選局を変えたら、注意して」
ごちるメルランだが、素直にラジオの選局は変える。
どうせ来るはずも無いであろう敵。まだ昼間で、場所も目立つ。幽霊にしては、あまりに不釣合いな場所――メルランはそう高を括っていた。
だが、それも崩れ去ることになる。三人の車が、華麗でどこかしとやかなオーケストラを奏で始めて数分も経たぬうちに。
騒ぎ出すメルラン。やってきたのだ。噂どおりに、純白のスープラが。
しかも一瞬でパッシングしたかと思えば、気付けば三人の前に出て走り去ろうとする。
トップバッターはメルラン。4ローターの奏でる管楽器のような甲高いサウンドと共にスープラを追っていく。噂が本当であるなら、メルランに勝機は無いはずだった。
だが、まだ勝負がつかない。『一瞬で勝負がつく』と噂されていたスープラのテールは、まだ三人が追える距離にあった。しかしメルランのシルビアは不安定なレーシングエンジン、すぐに息切れを起こし、リリカの4Cへバトンタッチする。
「って――よくよく考えたら私ってこういう道走るために車組んでなかったーッ!」
体の良い当て馬になってしまったか、リリカの4Cは街中での激しいコーナリングやロスを想定して300km/hオーバーに耐えられる時間はさほど長くは無い。結局は、長女であるルナサにバトンを渡し、しまいにはメルランにすら抜いていかれてしまった。
(噂通りなら、決着はもうとっくについてる。なのに離れない――だけど、抜くことも出来ない。本当に、楽しく遊んでるように見える……)
ルナサの見るフロントウィンドウの向こうで、ゆらゆらと一般車をかわしていくスープラ。その様は彼女の考えるとおり、まさに楽しく遊ぶかのよう。悪く言えば、ルナサを弄んでいる様でもあった。
『姉さん! もうすぐハイウェイが終わるわっ! そう何キロも走れない!』
メルランの叫びも、ルナサには届いている。マップは性格に頭に叩き込んでいるのがルナサだ。まるで案内図でも出しているかのように、ハイウェイの残り地点まで鮮明に理解している。
だが、まだ決着がつかない。このまま逃げられては、真相究明など夢のまた夢だ。次に現れてくれる保証は無いのだから。
「――ッ!?」
その時だった。スープラが唐突な異変を後ろへ伝えたのは。
白煙を噴き、コントロールを失うスープラ。ルナサのZ4との距離は、みるみる近付いていく。そのまま直進すれば、待っているのは大惨事だ。
「くッ――!」
ルナサは咄嗟の判断でフットブレーキを踏むつけ、ロックしたホイールを更にハンドブレーキでスライドさせる。フットブレーキとの入れ替えに掛かった時間は一秒も無い。彼女の経験上、こういった事故の回避はお手の物だった。
スープラはスピンして林へ飛んでいったが、幸いなことに木には激突せずにうまく停止したようだ。リリカはまだ遅れているが、ルナサは追いついたメルランと共に、車を降りて、停止するスープラの元へ走った。
煙を上げるスープラ。そのドアは左から開いた。そこで、二人はまた異変に気がつく。オートショーで売られているスープラは左ではなく、右ハンドル。つまり、降りるなら右のドアが開くはず。一方で、このスープラは反対に、左が開いた。つまり、何か不都合があって右ドアから出られなかったのでない限り、このスープラは左ハンドルの輸出仕様車ということになる。
そんな車は、何台も無い――いや、恐らくは物好きが持ち込んだ以外で知られているものは二人の前に存在する純白の一台だけだろう。そして、そこから降りてきた人物に、ルナサはその落ち着いた表情を一変させた。
「レイラ……。やっぱり、レイラだったんだ。でも、姉さんの言うとおりよ。どこからこんな――」
メルランが問うと、レイラは何かを捜す様に周囲を見渡し始めた。ふ、とその動きを止めた彼女の視線の先に在ったのは、漸く追いついてきたリリカの4C。
車からリリカを降りたのを見て、レイラは再び微笑んだ。笑って、でも声は聞こえなくて。そうして、彼女は三姉妹の見送られるようにして消えた。――スープラを残して。
「――やっぱり、遊びたかったのかな。レイラ。こっちに来てから、冥界なんていかなくなっちゃったし」
「多分、そうなんだと思う。私たちが知らずに起こした異変だったのね。……ねえ、姉さん――」
ルナサへ耳打ちするメルラン。その横で、スープラのフードを開けては咳き込むリリカ。
レイラの、言葉の無い手紙。それが、このスープラだった。三人はレイラに生み出された者として、何かを直感的に感じたのかもしれない。
リリカも気付けば、メルランの話に賛同していた。
◇
ヨーロッパの古い建築物には、何か和物とは違った風情が漂う。レイラ生前のプリズムリバー家がそうであったからなのか、特別なイベントとなるプリズムリバー三姉妹の今回の舞台は、そんな屋敷のある敷地であった。
「皆、集まってくれてありがとー!」
観衆は大勢集まった。宣伝効果もあったのだろう、年齢層問わずさまざまな人間がやってきた。無論、ホライゾン参加者もいる。ゆえに、敷地には高価なハイパーカーや派手な装飾を施した日本車まで、あらゆる車が揃ってもいた。
「皆さんには、一つだけお伝えしなければならに事があります。私たちは、三人ではありません。本当は――リリカのもう一つ下の、妹がいるんです」
ルナサが語り始めると、観衆もざわめき始める。
「最近出没していると噂のあのスープラ――それが、その正体でした。ですが彼女はもう、この世にいないんです。皆さんの噂が、当たっていたということです。それでも、家族は家族。もう、皆さんの元に妹が――レイラが現れることは無い。だけど、代わりに証を残したいんです。彼女が、遊びに来ていた証を」
ルナサとリリカが目配せして、バイオリンとキーボードで演奏を始める。
しん、と静まり返る会場。観衆が目をやった先には、純白のスープラがあった。
低く唸りを上げ、ゆっくりと動くスープラ。ぴたりと動きを止め、車のドアが開く。
「このスープラが、レイラの証! このスープラで、私たちは四人っ! そしてぇ――」
スープラから降りたメルランがルナサたちの元へ駆け寄り、二人へ目を配らせる。
ルナサもリリカも、それを判っていたように頷くと、声を高らかに叫んだ。
『皆さんも、私達幻想楽団の一員ですっ!』
一気に高まる会場のボルテージ。しかし、演奏が始まるとそんな騒ぎも一瞬にして収まってしまう。
落ち着きのあるオーケストラサウンドに、改造されたスープラというミスマッチな会場。だが、雲ひとつ無い青空をスープラは見上げるようにして停まっている。音を潜め、まるで――レイラが三姉妹の音楽に聴き入るかのように……。
のん気な声が、ホライゾンハブに木霊する。
呆れたように、少女へ返したにとり。次々とホライゾンハブへやってくる三姉妹――名は、プリズムリバー三姉妹という。一番喧しいのはメルランだ。三姉妹の次女である
。
「そういえば、あの“噂”はどうなったのー?」
小さな体躯をひょいひょいと伸ばしながらにとりへ問う、赤い服の少女は三女のリリカ。
長女であるルナサに制されるリリカへ、にとりは神妙そうに告げた。
「あの噂か……。あまり良い話は聞かないよ」
「悪質だとか……?」
ルナサが首を傾げつつ問うと、にとりは静かにかぶりを振る。
「違うんだ。都市伝説みたいな噂ばかりが広まってる。前回のホライゾンで死んだ幽霊だ――とか、オーケストラを聴いてるとやってくるとか、最悪なのだと一緒に走ったドライバーは死ぬとかね」
「うわあ……。幻想郷だったら実現してそうな話ね」
メルランは服に仕舞っていた車のキーを取り出しつつ、にとりの話を流す。最早話を訊く気など無いのか、口笛まで吹いている。
「購入記録は? オートショーにスープラを買いに行った人の履歴を――」
「あのねえ。スープラなんて、ここに流れてくる限りは幾らでも買われていくんだよ?
特に、日本車は人気があるんだし、購入者特定は無理無理。それにね――」
にとりは眉をひそめ、三人を手招きして集めた。
「私も、遭遇したんだ……そのスープラに――」
「少し追いすがってみたけど、ありゃダメ。まぁったく追いつけないよ。途中、ケーニグセグとブガッティのバトルを軽く追い抜いていったくらいだから――私の計算だけど、400km/hは軽く出てるんじゃないかな」
「400――そういえば、スピードトラップの記録に名前の無いスープラの記録があったわ。確かその時はハイウェイで……436km/hだった」
ルナサがそんな風に話すと、リリカはまたまた、とふざけ半分に笑う。
ありえない速度、履歴の無い車、まさにホライゾンに現れた“異変”である。
「でも、おもしろそうじゃない? 最近は仕事も安定してきたし、私は久しぶりに走りたいなー!」
キーホルダーに通して指で、くるくると鍵を回すメルラン。三姉妹は各地のハブを転々と周り、演奏会を開いている。もちろん、周りに影響しないちゃんとした音色の曲を披露していて、それなりのファンも付いてきたところだ。
『Phantom Ensemble』――“幻想楽団”などという、取って付けたようなチーム名も定着してきた。最近では、長女ルナサの車もチーム仕様にデザインを変え、アピールもしている。
「そう。私の話は此処からだよ、三人とも。噂通りなら、そのスープラはオーケストラを流してると現れる。――それから、何かを探してるようだ、とも言われてるんだ。音楽と探し物……なんだか、それっぽくない?」
「まさか、私たちの誰かが素性隠して走ってるってこと? だとしたら、真っ先に怪しいのはメルラン姉さんじゃない」
「えぇぇぇ!? 私!? 確かにスープラの音は好きだけど、私は今のシルビアが一番かなあ」
「4ローターの音、気に入ってるしね。メルランは」
「そうそう! まさに管楽器、ってね!」
音の話になると、三姉妹はすぐに話がそれる。にとりもそれは承知なのか、咳払い一つしてから、話を続けた。
「とにかく! 異変、ってやつだよね私達流に言うなら。貴方達には、その正体を掴んで欲しい。今は私の周りで話せる味方も忙しくてね、音楽系、幽霊系、ときたらプリズムリバーかなってさ」
「――そうね、仮にそうなら私も一人心当たりがいるの。――ずっと離れていたけど、その、心当たりが……」
ルナサの思わせぶりな話し口調に、姉妹の雰囲気が唐突に重くなる。リリカやメルランにも、同じ心当たりがあるようだ。
「――やっぱり、そうだと思った。でも、どうして?」
「あの子は寂しがり屋だもんね。私たちが仕事で忙しい間に寂しい思いをしたのなら、同じ事をして私たちと遊びたいと思っちゃってもおかしくないわね」
斜を向いて語るメルラン。車のキーを握りなおし、彼女は再び顔を上げる。
「よしっ! ルナサ姉さん、幻想楽団出動!」
「え……仕切られてるの? まあ、とにかく走らないと判らないってことなら、走ろう。勝負はハイウェイにする。全員、トランシーバーを持ったら作戦開始。――幻想楽団、出動」
「おーっ」
駆け出してハブから出て行く三姉妹。それを軽く見送ると、にとりは来ていた客の車の整備へと戻っていった。
後のことは、にとりの成すべき事ではない。三姉妹が、自分の力で探ることだ。事実がどうあれ、最近の退屈そうな三姉妹には笑顔が戻りつつあった。にとりは、それを見る事が叶っただけでも良かった。
◇
ハイウェイ。イタリア、フランスの各都市を結ぶ二本のハイウェイのうち、もっとも長いハイウェイで、赤いアルファロメオ、シルバーのシルビア、黒いBMW Z4はまるで戦闘機の編隊のような見事な陣形を維持したまま走行する。
「全員、チェック」
『チェックーっ!』
『チェック、いけるよー』
ルナサの一声に、メルランもリリカも元気よく応えた。
ホライゾンのイベント中は、会場からさまざまなジャンルの音楽を提供するラジオチャンネルが配信される。その内の一局が、噂のオーケストラ専門ラジオステーション。刺激を求める若者には人気が無いものの、ノスタルジックな雰囲気を醸し出すにはぴったりで、古い車を愛用するドライバーの間での選局率は高い。また、幻想楽団の曲も基本的にはこのラジオチャンネルで配信されるため、一部のファンも利用しているのは間違いの無い事実だ。
恐らくは、そういったファンの間で遭遇したスープラの噂が他のドライバーに流れ、都市伝説的に波及したのだろうと、Z4のステアリングを操りながらルナサは考えた。
「じゃあ、まずはメルラン。全員選局を変えたら、注意して」
ごちるメルランだが、素直にラジオの選局は変える。
どうせ来るはずも無いであろう敵。まだ昼間で、場所も目立つ。幽霊にしては、あまりに不釣合いな場所――メルランはそう高を括っていた。
だが、それも崩れ去ることになる。三人の車が、華麗でどこかしとやかなオーケストラを奏で始めて数分も経たぬうちに。
騒ぎ出すメルラン。やってきたのだ。噂どおりに、純白のスープラが。
しかも一瞬でパッシングしたかと思えば、気付けば三人の前に出て走り去ろうとする。
トップバッターはメルラン。4ローターの奏でる管楽器のような甲高いサウンドと共にスープラを追っていく。噂が本当であるなら、メルランに勝機は無いはずだった。
だが、まだ勝負がつかない。『一瞬で勝負がつく』と噂されていたスープラのテールは、まだ三人が追える距離にあった。しかしメルランのシルビアは不安定なレーシングエンジン、すぐに息切れを起こし、リリカの4Cへバトンタッチする。
「って――よくよく考えたら私ってこういう道走るために車組んでなかったーッ!」
体の良い当て馬になってしまったか、リリカの4Cは街中での激しいコーナリングやロスを想定して300km/hオーバーに耐えられる時間はさほど長くは無い。結局は、長女であるルナサにバトンを渡し、しまいにはメルランにすら抜いていかれてしまった。
(噂通りなら、決着はもうとっくについてる。なのに離れない――だけど、抜くことも出来ない。本当に、楽しく遊んでるように見える……)
ルナサの見るフロントウィンドウの向こうで、ゆらゆらと一般車をかわしていくスープラ。その様は彼女の考えるとおり、まさに楽しく遊ぶかのよう。悪く言えば、ルナサを弄んでいる様でもあった。
『姉さん! もうすぐハイウェイが終わるわっ! そう何キロも走れない!』
メルランの叫びも、ルナサには届いている。マップは性格に頭に叩き込んでいるのがルナサだ。まるで案内図でも出しているかのように、ハイウェイの残り地点まで鮮明に理解している。
だが、まだ決着がつかない。このまま逃げられては、真相究明など夢のまた夢だ。次に現れてくれる保証は無いのだから。
「――ッ!?」
その時だった。スープラが唐突な異変を後ろへ伝えたのは。
白煙を噴き、コントロールを失うスープラ。ルナサのZ4との距離は、みるみる近付いていく。そのまま直進すれば、待っているのは大惨事だ。
「くッ――!」
ルナサは咄嗟の判断でフットブレーキを踏むつけ、ロックしたホイールを更にハンドブレーキでスライドさせる。フットブレーキとの入れ替えに掛かった時間は一秒も無い。彼女の経験上、こういった事故の回避はお手の物だった。
スープラはスピンして林へ飛んでいったが、幸いなことに木には激突せずにうまく停止したようだ。リリカはまだ遅れているが、ルナサは追いついたメルランと共に、車を降りて、停止するスープラの元へ走った。
煙を上げるスープラ。そのドアは左から開いた。そこで、二人はまた異変に気がつく。オートショーで売られているスープラは左ではなく、右ハンドル。つまり、降りるなら右のドアが開くはず。一方で、このスープラは反対に、左が開いた。つまり、何か不都合があって右ドアから出られなかったのでない限り、このスープラは左ハンドルの輸出仕様車ということになる。
そんな車は、何台も無い――いや、恐らくは物好きが持ち込んだ以外で知られているものは二人の前に存在する純白の一台だけだろう。そして、そこから降りてきた人物に、ルナサはその落ち着いた表情を一変させた。
「レイラ……。やっぱり、レイラだったんだ。でも、姉さんの言うとおりよ。どこからこんな――」
メルランが問うと、レイラは何かを捜す様に周囲を見渡し始めた。ふ、とその動きを止めた彼女の視線の先に在ったのは、漸く追いついてきたリリカの4C。
車からリリカを降りたのを見て、レイラは再び微笑んだ。笑って、でも声は聞こえなくて。そうして、彼女は三姉妹の見送られるようにして消えた。――スープラを残して。
「――やっぱり、遊びたかったのかな。レイラ。こっちに来てから、冥界なんていかなくなっちゃったし」
「多分、そうなんだと思う。私たちが知らずに起こした異変だったのね。……ねえ、姉さん――」
ルナサへ耳打ちするメルラン。その横で、スープラのフードを開けては咳き込むリリカ。
レイラの、言葉の無い手紙。それが、このスープラだった。三人はレイラに生み出された者として、何かを直感的に感じたのかもしれない。
リリカも気付けば、メルランの話に賛同していた。
◇
ヨーロッパの古い建築物には、何か和物とは違った風情が漂う。レイラ生前のプリズムリバー家がそうであったからなのか、特別なイベントとなるプリズムリバー三姉妹の今回の舞台は、そんな屋敷のある敷地であった。
「皆、集まってくれてありがとー!」
観衆は大勢集まった。宣伝効果もあったのだろう、年齢層問わずさまざまな人間がやってきた。無論、ホライゾン参加者もいる。ゆえに、敷地には高価なハイパーカーや派手な装飾を施した日本車まで、あらゆる車が揃ってもいた。
「皆さんには、一つだけお伝えしなければならに事があります。私たちは、三人ではありません。本当は――リリカのもう一つ下の、妹がいるんです」
ルナサが語り始めると、観衆もざわめき始める。
「最近出没していると噂のあのスープラ――それが、その正体でした。ですが彼女はもう、この世にいないんです。皆さんの噂が、当たっていたということです。それでも、家族は家族。もう、皆さんの元に妹が――レイラが現れることは無い。だけど、代わりに証を残したいんです。彼女が、遊びに来ていた証を」
ルナサとリリカが目配せして、バイオリンとキーボードで演奏を始める。
しん、と静まり返る会場。観衆が目をやった先には、純白のスープラがあった。
低く唸りを上げ、ゆっくりと動くスープラ。ぴたりと動きを止め、車のドアが開く。
「このスープラが、レイラの証! このスープラで、私たちは四人っ! そしてぇ――」
スープラから降りたメルランがルナサたちの元へ駆け寄り、二人へ目を配らせる。
ルナサもリリカも、それを判っていたように頷くと、声を高らかに叫んだ。
『皆さんも、私達幻想楽団の一員ですっ!』
一気に高まる会場のボルテージ。しかし、演奏が始まるとそんな騒ぎも一瞬にして収まってしまう。
落ち着きのあるオーケストラサウンドに、改造されたスープラというミスマッチな会場。だが、雲ひとつ無い青空をスープラは見上げるようにして停まっている。音を潜め、まるで――レイラが三姉妹の音楽に聴き入るかのように……。