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Ep.0

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 2099年。一般市民からは、自動車を運転するという概念が消えた。
 市民の足は『AIカー』と呼ばれる自律航行式の電気自動車となり、街も全て管理される。
 しかし、AIカーも万全ではなかった。

『暴走AIカー発生! エクスドライバー、スクランブル!』

 とある基地に流れる放送と共に、黄、青、白と古めかしくも官能的なサウンドを奏でる自動車が基地を走り去っていった。
 この三台はAIカーではない。現在ではすっかり過去の遺産と化した『ガソリンカー』と呼ばれるエンジン搭載、手動運転の自動車だ。
 そんなガソリンカーを駆り、暴走車を停車させる職務に就いた者達を、人々は『エクスドライバー』と呼ぶ……。



 東京新都心を走り抜ける暴走車。
 路肩に寄せられた車の列の中には、一際異彩を放つ三台のガソリンカーが交じっていた。
 一台は低く据えられたボディに、セダンだと辛うじて判る程の改造を加えられた赤い車両。『1996年モデルアルファロメオ155V6TI』――それが、その車の名である。
 ドライバーは金色に輝くロングヘアーが美しい、白人女性。端整な顔立ちで、街を歩けば大体の男性は振り返るだろう。

 その後ろには、アルファロメオの様に低くフロントからのシルエットを削り落とし、巨大なリアウィングで武装する黄色い車両。
『トヨタスプリンタートレノ』――先人達は、その車を通称“ハチロク”と呼び親しんでいたが、やはりアルファロメオと同じくボディの形は全くの別物だ。
 運転席にはキャスケット帽を被った、中性的な顔立ちの少年が座っている。ウィンドウから車内を覗けば、少年の後ろには物々しいエンジンが横向きに鎮座し、微かに振動していた。

 更に、その後ろにはファットなワイドボディキットに凄まじい威圧感を放つGTウィングを装備した漆黒の車体。『930型ポルシェ911カレラRS3.0』と呼ばれる、レースモデルベースの最上位グレードだ。
 こちらもまた、形を大幅に変えられているらしい。しかし車の威圧感の割りに、運転席に座っているのは所謂『お嬢様』な印象を与える、小さな人形のように整った顔立ちの少女。

「どう思う? リズ」

「あれ、単なる暴走車じゃないね。改造モーター、違法巡航プログラム――ストリートレース用AIカーだ」

 リズ、と呼ばれたハチロクの少年は前方に停車するアルファロメオのテールを眺めながら過ぎ去っていった暴走車を精密に分析する。

「でしたら、間も無くわたくし達にお声が掛かるのではないかしら。ああいうのを追い掛けるために、『支部』に呼ばれたのですから」

「ステラ、ビンゴ。全員、コミュニケーターに注目」

 リズと呼ばれる少年、そしてステラと呼ばれたポルシェの少女。更にアルファロメオの女性は腕時計のような端末から響く電子音に応答する。

『こちらエクスドライバー西湾岸支部、秘書兼オペレーターのニナ・A・サンダーよ。聴こえるかしら、三人とも』

 “腕時計型コミュニケーター”に映し出される金髪の女性と、マニュアルのような言葉の羅列。
 ドライバーの三人はその言葉を合図に車を出し、AIカーの追跡を開始する。
 甲高いエンジンサウンドは摩天楼を衝き、市民は慣れないスキール音に耳を塞ぐ。それが、エクスドライバーの全てであるというのに。
 三車両は瞬く間に時速200km/hを超え、追跡通路は最早サーキットと変わりは無い。
 道路左右はAIカーで固められているし、暴走車両は予測進路通りに進む。

『こちらが送り込んだエクスドライバーは全部で三人。スーパーセブン、ストラトス、ヨーロッパ。だけど少し到着が遅れそうなの。今回の任務は簡単です。その三人の代わりに、暴走車を停める事。そして、シティポリスに引き渡すこと。いいかしら?』

『了解!』

 155が粘り強くコーナリングするのに対し、ハチロクとポルシェはリアタイヤを流し気味に直角の交差点を左へ曲がる。三人が揃ってギアをアップしたのを合図とするかのように、三人はニナと名乗る女性へ了承の声を上げた。

『元気は三人に負けないわね。“ようこそ、西湾岸へ”』

 コミュニケーターの通信が一時的に切れ、三人の視線は改めて三台の先頭を走るAIカーへ集中する。
 針のように細い視界は容赦無く三人へ壁、車の認識を遅らせようと牙を剥く。しかし、時速300km/hの世界に慣れた三人にはその牙すら無意味だ。

「リズ! 貴女、先に回れる?」

「無理だね。今アクセルを踏み込むと、テールが流れる。申し訳無いけど、ステラの援護につくよ」

「つっ――かえない! だぁから6ローターなんて止めとけっていったの――よっと!」

 リタの目の前で、AIカーは交差点を右に曲がっていく。リタが交差点へ進入するまでは、数十メートルと言ったところだろうか。
 リズへの嫌味を吐露したところでリタは手元のハンドブレーキノブを引き、リアタイヤをロックさせることで車を真横へ向ける。
 155は道路進行に対し水平を向き、歩道へ向けられたフロントの巨大なスポイラーはあたかも未知なる怪物が、ガソリンカーを知らぬ通行人を威嚇するようである。

「ステラ! リズ引き連れて、システムリンク! その距離なら出来るでしょ。私は、アロウを打ち込むから!」

 ハンドブレーキ、スロットル操作。これを一瞬のうちに交互に繰り返しながら、リタは異常ともいえる距離をテールスライドさせながら90度の交差点を抜けていく。
 立ち並ぶ高層ビルから見えるその軌跡は幻想的だが、クリームのように濃かったそれは次第に薄くなってやがて、何事も無かったかのように消えてゆく。
 交差点から眺めていた民衆は、まるでスケートを滑るように走り去っていく三色のガソリンカーに不思議と見入っていた。
 最初は怪物に見えても、触れてしまえば美しい物――何処かに居た詩人な民衆は、三人の走りを見てそう語る。だが、その言葉すら三台のエキゾーストノートに掻き消される。

「リズ! システムリンク始めますわよ!」

『了解――待った! リタ! 駄目だ!』

 システムリンク――互いの持つコミュニケーターのデータを文字通りに提携させることで、情報集積能力を高める物だ。
 そのシステムリンクが成功し、即座に拾い上げた物は――

「リタさま! 二台の所属不明車が前方から高速接近! AIカーの後ろに逃げてくださいまし!」

 ――マップに現れる二つの『Yuki』という名のアイコンと、相手側の車速情報のみ。
 その情報をステラとリズがサルベージしたが、それは驚異的なものだった。

「時速――360km/h!? リタ! 相手はAIカーを挟み込むように通過する! すぐに後ろへ!」

『無理よ。相手、前のAIカーぶち壊して停める気だもの。この車速だと突っ込むわ』

 リタも寸前でシステムリンク範囲内。コミュニケーターはリンクモードに切り替わっていた。
 二台はリズの語るとおり、暴走車を挟むように走り抜けるルートを辿る。三人のコミュニケーターに追加されたパーソナルデータには『AI Car Hacked:Breaking System』と記されており、リタの前方を走る暴走車両のブレーキシステムに外部からの操作が加わっていることを明確に記していた。
 このまま後ろに逃げて回避すれば、リタは減速が間に合わずに停止した暴走車に追突してしまう。横に逃げれば、真正面から二台のどちらかと正面衝突することになる。逃げ場は無かった。

「……残り接触十秒。私が180度反転して、そっちに向かう。二人は両車線に逃げて、通過後速やかにAIカーの後ろへ退避、相手車両の通過を視認次第、ラインクロスで回避! 時間が無い。ここからはアドリブッ!」

 ハンドブレーキを引き、車体を綺麗に前後反転させたリタ。155は四輪のタイヤを空転させながらも、強化されたトルクと出力に後押しされながら一転してリズ、ステラへ向けて走り出した。
 一方のリズ、ステラは絶妙に前後をずらした編隊をキープし、三車線ある一方通行車道の左右へ逃げる。
 残り五秒――ハチロク、ポルシェの二台の間を155が走り抜けていく。
 残り四秒――ポルシェがAIカーの後ろへ逃げた。
 残り三秒――ハチロクも続いて退避。
 残り二秒――AIカーのブレーキシステムがハッキングされたことを、リタ含めた三者へアラートで報せる。
 一秒――AIカーは、二台の白と黒の車両の通過と同時に急停車。

 刹那、何かが弾けるような音を上げて走り去る異質な二台をバックミラーの向こうに見送ったステラとリズは左右車線へ再度退避し、一瞬の内に起こされた混乱をラインクロスで切り抜けてスピン。
 ポルシェとハチロクの巻き起こした白煙と共に、暴走車両は停止した。
 ――尤も、一番停止しそうだったのはこの混乱をアドリブで切り抜けた三人の心臓だったわけだが。

「西湾岸に来て早々、二つの大問題だわ……」

 155を停車させたリタは、解けたタイヤの匂いに眉を潜めながら二台の車が走り抜けていった方角へ目を向ける。

「ガソリン車では無さそうだね。エンジンの音が明らかにおかしかった。まるで――ジェットだね、あれは」

 ハチロクから降りたリズは拳銃でAIカー搭乗者を牽制しながらも、リタの言葉に付け足すように話した。

「どちらにせよ、危険ですわ! あれがエクスドライバーなら、尚更ですの!」

 わなわなと震えながらごちるステラ。傍らに停まるポルシェからは、リアバンパーが脱落してしまっている。

 エクスドライバー――それは、常に危険と隣り合わせの職業。
 新しい街へとやってきた三人のエクスドライバーは、着任早々二つの大事件へ遭遇してしまう。
『AIカーストリートレース』と『二台の不明車両』という大きな事案に、出会ってしまったのだ。